歳を重ねていくと人に言いづらいことが1つや2つ、人によっては10つもあったりすると思うのだけれど私もその例外ではないです。
そのことを私は繰り返し思い出し自問自答したり葛藤をするのですが
今回はそのことを文章にしてみたら多少スッキリするのではと思って文章にしてみようと思います。
私は一度婚約破棄をしたことがあります。そのことは今の旦那も承知で、もう済んだことになっています。
ですが、私は「済んだこと」になってはいけないと思っています。
その人とは仕事で知り合った人でとても尊敬のできる存在でした。
周りからも尊敬されていて、会社の中でも大きな支えとなる人物でした。私自身、そこを鼻にかけている部分もありました。
「できる人と対等に付き合える自分」そんなふうに思ってたのかもしれないです。
付き合った当初はとても楽しくて毎日幸せだったのです。
でもそうじゃない日々がやってきてから毎日私はお皿を洗いながら泣いていました。
彼は無意識に私のやりたいことやできないことを支配していました。それは全て私自身を高めていくためのことでした。彼との共通の知人に現状の自分の不安点や悲しみを共有したところ「彼以上の人物はいない、彼を失ったら君はもっともっと悪くなる」そんなふうに言われ説得された日もありました。果たしてそうなのでしょうか。私の良し悪しは他人に判断されるべきことなのでしょうか。
彼と足並みを揃えることで私の存在はより惨めで悲しくなるだけでした。
それでも彼は別れる最後まで私のことを「僕がほんとうに好きな人」といってくれました。
「僕はいつもほんとうに好きな人から別れを告げられる」
今でもその「ほんとうに好きな人」の真意はよくわかりません。
彼の中には「ほんとう」と「そうじゃない」があるのか、「いつも」ということは「ほんとう」はたくさんあるのでしょうか。
「きみが誰かと結婚したって僕はずっと待つずっとずっと待つ」
彼と結婚して子供を産んだお嫁さんのfacebookをみてまた一つ喉が支えたけど、数秒後には私にとってとてもとても幸せな知らせになっていました。
どうか彼のお嫁さんは幸せに肩を並べられているといいと思います。
彼にとっても私にとってもそれは済んだことじゃなく、
一緒に過ごせた「いい思い出」になれてたら、楽しかったねって言えたらその時にやっと支えがとれるような気がします。(今は全然会いたくないけど!)