イキリ人生

最近ちょっと怒っていることがあるのでそれについて書く。

 

イキリオタクという言葉があります。

イキリオタクとはオタクの中で粋がっているオタクのことを軽蔑していう言葉です。

 

これと似たようなもので、自分の歩んできた人生・自分の周囲の環境や人脈に自信を持つようになり、他者にマウントをとる(粋がる)ような人物が私の周りに何人かいます。

私は4−5年前に少しそれに近いものをとっていたような気がする。その頃の私は何人かの後輩を束ねたり、会社の経営会議に出席したりするようになっていてそのことを少し鼻にかけていたと思う。

会社という組織の中で認められていくのはそんなに難しいことじゃないです。SNSなどで似たような考えの人間を見つけてその人らと共感し自分が正しいと思うことに少し似ています。やっぱりそういう中にいるとついつい自分は正しいと思ってしまうんですよね。そしてそれが増長していくことでマウント(粋がる)ことに繋がるんじゃないかと思っています。

 

粋がることに何が問題があるかっていうと、自分の中にある正義を他人に強要したり、対比し、排除・嫌悪するようになるところだと思います。

例えばちょっと前にその中の1人からこんな言葉を聞きました。

 

ロリータファッションダサいっていうけど、服にこだわらない人よりずっと素敵だと思うな

じゃあ一生ダサい芋ジャーきてろよって感じ

 

「どんなファッションにも私は理解を持っているし私は配慮のない人間とは違う」

ということをこの人は言いたいのかなあと思うんですが、結局「ジャージはファッションに興味がない人が着るものでダサいもの」と言っている。結局自分の中で勝手なペルソナ(芋ジャーはクソな人が着るもの)を作ってマウント取ってしまっているわけです。

 

「今日はあなたに合わせて普通の服を着てきた」

 

そう言って今日着てきたファッションの感想を聞かれたこともありました。正直意味がわからなかったのですが感想を聞かれたので私はそのまま言いたいことを言いました。

 

「普通の人はそんなに服に気合入れないのでは」

 

少し残念そうにしていました。もしかしたらその人の世界の住人的に褒めるべきだったのかもしれないです。しかしそんなことどうでもいい。私がいつ・どこで・あなたの服が普通でないと言ったのか。そして普通であれと言ったのか。1ミリも言ってません。私もあなたも好きな服を着てくればいい。好きな言葉を使えばいい。好きなことをすればいい。

「下手に褒めずに正直な感想を言う」この行動がその人にとって正しくないのか間違ってるかというと間違ってると言えます。ですが私にとっては正解でした。私にとってその人との関係は「共感」がなくても成り立つと思っていたからです。

そしてその後私の大好きな仕事の話をしている時、その人はつまらなさそうに内容を全否定、その人の敬愛する人物の(私からしたら大したことない)パチンコの仕事の話をたいそう讃えました。仕事に上も下もないはずですが当時の私は自分の仕事に誇りを持っていたので、くだらない(と当時思っていた)パチンコ屋の仕事より自分の仕事が下だと言われたことに腹が立ちました。この時点で気づくべきだったのかもしれないですね。私とその人は共感なしでは成立しないということ。マウントの取り合いになってしまっているということを。

 

人が何を見て、何を感じようが自由です。共感するのもしないもの自由です。それは変えられないし、正誤もないです。私はこれが真実だと思います。少しでも多くのことを知って、色々なことにチャレンジして、自分を客観的にみる日を作ろう。私もこれからそうします。